日本語教師が戸惑った「共感されなかった日本語の例文」から日本を考える

日本語教師
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日本語教師のみやざきです。

みなさんは日本語レッスンや授業の例文が学習者に理解されず、困ったことはありませんか?

自分で例文を作るのはもちろん、活字になっているテキストの例文でも学習者から思わぬツッコミをもらうことも少なくありません。

そこで、今回は学習者に共感されなかった日本語の表現」をご紹介します。

 

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「カレー?マンネリじゃない?」

日本語学校の授業中に、あるテキストの中に以下のようなモデル文がありました。

 

A:今晩、何食べたい?

B:う~ん。カレーは?

A:カレー?マンネリじゃない?

シャドーイング日本語を話そう・初~中級編 P80 より

カレーが続くとマンネリですよね?どこが共感できないんだろう…

 

私の勤務校にはカレーを毎日のように食べる文化圏の学生がいます。

 

その学生の一人から

「このマンネリってどういう意味ですか…?」

と質問がありました。

 

「マンネリ、とは同じものが続いて飽きてしまうことです」

 

と答えると

 

「え…?カレーがマンネリ…?」

マンネリの意味はわかりましたけど、文の意味がわかりません…

 

と言われました。ちなみに他の文化圏の学生にも「同じ食べ物が続いたら、どうしてマンネリなんだ…?」という反応の人がいました。



 

日本人は同じものを食べると飽きやすい説

これは私がアメリカでホームステイをしたときに感じたことです。

朝食や昼食はともかく、夕食のメニューのバリエーションが圧倒的に少ないのです。

週に3回は、同じ野菜を茹でただけものやマッシュポテト、簡易なチキングリルが並びました。ボリュームは十分でしたが、やはり飽きてしまいます。

しかし、彼らにとってはそれが普通なのです (アメリカにも多種多様な文化圏の人が住んでいますので、一概には言えませんが) 。

前述のカレーを毎日のように食べる文化圏の人も、同じ感覚だと考えられます。でも、私たちはいくらカレーが好きでも、何日も続けば飽きてしまいます。

ここで重要なのは「私たちが当たり前だと思っていることが、学習者にとってはそうでない場合がある」ということです。

 

「味噌汁」に相当する食べ物が「カレー」説

私が上記の「カレーについてのやりとり」を経て気がついたことがあります。それは「日本人には毎日かかさず味噌汁を食べる人がいるが、味噌汁に飽きることはない」ということです。

カレーを毎日のように食べる文化圏の人たちは、日本人が具材を変えて味噌汁を食べることと同じことをしていると言えます。

このように考えると「毎日のカレーがマンネリではない」という感覚も理解しやすくなります。

このように、例文によっては言葉や文そのものが分からないのではなく、食文化など生活に直結する部分の認識が異なることで、文の意図することが理解されないケースがあります。

 

「ピカソの絵みたいだね」

これはほとんどの学習者が「ピカソ」を辞書で検索して理解していたのですが、

ある文化圏の学習者だけが「え…ピカソって何ですか…?辞書で調べてもわかりません…」と言っていました。

その学習者は頭もよく、母国の大学入学試験を突破しています(中退はしていますが…)。

その学習者だけでなく、同じ文化圏の別の学習者も同じ反応だったのです。

また、同様に音楽家の「モーツァルト」も理解されませんでした。

「ピカソ」とか「モーツァルト」ってみんな知ってるんじゃないの…?



 

母国の基礎教育のカリキュラムが日本とは異なる説

この例文の反応から考えられることがあります。それは、国によって基礎教育の内容が異なるということです。

私たちが「当たり前に知っている」と思うことが、他の国では知られていない場合があるのです。

例えば、野球は私たちにとって身近なスポーツです。野球クラブや高校野球、プロ野球はもちろん、学校の授業の一環として実際に試合を行ったこともあると思います。

しかし、「できる日本語 初中級」のテキストの11課で野球の絵をもとに文法を導入する際に、学習者のほとんどが野球の基本的なルールを知らず、四苦八苦していました。

 

野球はサッカーやテニスなどに比べると、世界的にはそれほど層の厚いスポーツではありません。

「みんながそれなりに知ってるはず」が、日本以外にルーツのある人には分からない場合があります。そして、日本語の授業(レッスン)の現場でそれが判明することがあります。

もちろん、逆のケース(日本では馴染みがないが、ある国や地域ではよく知られていること)もあるでしょう。

 

「マザコン」って普通でしょう…?

みなさんは、「マザコン」に対してどのようなイメージがありますか? マイナスのイメージを持っている人が多いのではないでしょうか。

しかし、国や地域によっては「マザコンって普通でしょう…?」と反応する学習者もいます。日本以上に母親第一という考え方が浸透しているケースも少なからずあるようです。

学習者の文化や家庭環境はさまざまですが、彼らの話を聞くと日本以上に家族・親族の絆が強いと感じることが多々あります。

例えば、

  • 母国にいる親に毎日のように連絡する(スマホの無料通話アプリ等を活用)
  • 親族の生活問題は親族間でフォローし合う

といったことはよく聞かれることです。みなさんの家族・親族との距離感と彼らの距離感は同じでしょうか。家族や親族との関係性の違いも、異文化の一つだと言えます。

授業(レッスン)を通して異文化を知ることが、日本語教師の醍醐味とも言えます。実際は結構アタフタしますけどね…!

 

 まとめ ~例文提示で注意したいこと~

学習者が例文に共感できない背景には、言葉そのものの問題だけでなく、異文化を反映する表現(別の文化圏の人には共感できない表現)が原因の場合があります。

例文に文化的背景を含むことが、一概に悪いとは言えません。レッスン(授業)の中で、そこから日本文化への理解が深まることもあります。ただし、新しい文法の導入の際には慎重に扱う必要があります。

例文を用いる際には「日本の独特の共通認識や文化的背景が加わっていないか」を精査した上で、授業やプライベートレッスンに取り入れたいですね。

 

また次回の記事でお会いしましょう!

 

みやざき

通信制大学で日本語教育を学び、2008年に日本語教育能力検定試験合格。国内の日本語学校で専任、5年のブランク後に非常勤講師→フリーランス。現在は地域日本語教育コーディネーター、Webライティング、コラム執筆等を受託しています。

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